80代の世界を見ながら、自分の老後を考える
母の認知症が進んでいる。 写真は、母が焦がして炭になって水をかけた後に捨てたパンの様子。 部屋中が焦げ臭いし煙もけっこう出たらしい。 幸い、火事には至らずに済んだ。 今振り返ると
母の認知症が進んでいる。
写真は、母が焦がして炭になって水をかけた後に捨てたパンの様子。
部屋中が焦げ臭いし煙もけっこう出たらしい。
幸い、火事には至らずに済んだ。
今振り返ると、認知症のサインは以前から出ていたのかもしれない。
ただ、私はなかなか認識できてなかった。
母とは普通に会話ができていたし、その日にあった出来事も覚えていた。
たまに会う人なら、おそらく認知症だとは気づかないと思う。
私自身もずっと、「年齢相応の物忘れ」くらいに考えていた。
高齢になれば誰でも忘れっぽくなる。
私だって以前より物忘れが増えたと感じることがよくある。
だからこそ、その境目が見えなかった。
どこからが普通の老化で、どこからが認知症なのか。
もしかしたら認めたくない気持ちも少しあったのかもしれない。
そんな中で、少しずつ違和感が積み重なっていき
これははっきりとおかしいと認識するまで
時間を要した。
ーーー
母には学生時代からの親友がいる。
その人は若い頃から女独りで事業をしていたしっかり者だった。
母と会うと、二人とも学生時代に戻ったかのように話が弾み
おしゃべりが止まらない。その友人と会った日の母は生き生きとしていた。
私はその状況に安心していた。
ところがある日、その友人と母はランチをする予定だったのだが
その友人のお姉さんの介護の都合で急にキャンセルになった。
また日を改めようという話で終わったはずだった。
ところが約二週間後、その友人から突然電話がかかってきた。
「今、待ち合わせ場所にいるんだけど」と。
母は聞いていないと言う。友人は約束したと言い張る。
私はこのところ実家に長期滞在しており、母が見落としがちな携帯への連絡を
毎日気にして見ているが、それらしい着信やメッセージはなかった。
母が忘れたのか。友人が勘違いしたのか。
100%断定はできないが、おそらく今回は友人の勘違い。
その時に感じたのは大きな寂しさだった。
私はどこかで、その人はずっとしっかりしている人だと思っていたからだ。
母だけではなく、同い年の友人もまた確実に老いている。
そんな当たり前のことを改めて思い知らされた出来事だった。
別の日には、こんなことがあった。
母用のバリアフリーの住居を探しており
母が近所のお友達のマンションによく遊びに行っていて、
そこに住めたらいいなあと言っていた。
そこの一室が空いたと仲介会社から連絡が入り、早速内見へ行くことに。
そこへ行く道すがらその友人に
「これから内見にいくのよ!」とラインしたようで
友人が急いで家から出てきてくださった。
その方は、定期的に電話でお話ししたり
母を支えてくださっている印象で、とてもありがたいと感じていた。
あまりに急だったので、その方は補聴器を忘れて出掛けてしまったとのことで
私たちが話しかけても話が聞こえず、会話が成立しないという事態となった。
母も難聴で片耳の聴力を失っており、母がたまたまなってしまったという感覚でいたが、80代は多くなると実感した。
そして最近、支障がでてきたのが
母が前日の出来事を忘れることが増えたことだ。ある土曜日、母が「明日はゴミの日だから出さなきゃ」と言った。
私は「明日は日曜日だからゴミの日じゃないよ」と伝えた。
「あ!そうだった」とその時は納得していた。
ところが翌日になると、その会話自体を忘れてしまっていた。
母はゴミを持って集積所へ向かったが、誰もゴミを出していないことに気づき、
ゴミを持ち帰ってきた。
洗濯物をたたんでいる時もそうだった。
自分のいわゆるババシャツを手に、
「こんなの私持ってないわよね」と言う。
長年使っていた自分のものなのに、それが分からなくなっている。
ーーー
一つひとつは小さな出来事かもしれない。
でも、その小さな出来事が確実に増えている。
今振り返ると、私は母に対してずいぶんイライラしていた。
もともと仲が良いわけではなかったという経緯もある。
「なんで人の話を聞かないの?」「この前も言ったよね」
「忘れるってわかってるならメモしておけばいいじゃない」
そんなことを何度も言ってしまった。言い合いになったこともある。
最近まで私は、認知症だという認識がなく
努力しようとせずに迷惑ばかりかける人、というような感覚で接していた。
かと言って、認知症とわかっても、どう接するのがいいか分からない。
間違いを指摘した方がいいのか。何度でも同じことを伝えた方がいいのか。
状況によっても違うのかもしれない。
わかるのは、イライラ怒ったりするのはお互いにとって良くない事だけ。
ケアマネージャーさんに相談した時、とても印象に残った言葉があった。
「子どもが覚えていく過程とは反対に、認知症は忘れていく過程」
その言葉を聞き、ようやく腑に落ちた。
その変化を見るのは寂しい。
そして母を通して80代の世界を見ながら
自分の老後についても考える。
正直、不安しかないが
不安がっても埒が明かない。
今感じている不安を、学びの原動力にして
理解や将来への備えへと変えていければと思う。